人見知りはいつから始まったのか

この記事は「人見知りは、世界を変える。」と信じ、その生き様を体現し続ける人見知り心理カウンセラーの、さいとうよしゆきの手記です。

人見知りはいつから始まったのか

自分のことを「人見知り」と自覚する人は多い。しかし私たちは、思えば、一体いつから「人見知り」になってしまったのだろうか?

それを、正確に答えることができる人は少ない。大体は、「物心がついた頃から」「気がついたら人見知りだった」などと、漠然と思い返されるのではないだろうか。

この記事を読まれているあなたはどうだろう。
一体、あなたはいつから、人見知りになったのだろうか?

「実は昨日、アイツのせいで人見知りデビューしちゃったんスよね」という”にわかカープ女子”ならぬ”にわか人見知り”な人は恐らく居ないだろうし(もし居たら真性人見知りやプロの人見知りに怒られてしまうので、自称しないことが懸命である)

「産まれた瞬間から人見知りでした。産まれる瞬間なんか大変でした。お母さん、めっちゃ痛がってるんですもん。もう、申し訳なくて。しかも、産まれた直後から、たくさんの人が自分を迎えてくれるじゃないですか。あれはキツかったですね。また戻りたいくらいでした」という人も居ないだろう。

「人見知り」な性格により苦しんだ体験談なら、首都圏の平日朝8時台の山手線の乗車人数のように溢れんばかりに思いつくが、一体、もともとは何がきっかけで人見知りになったのかは誰も、思い出すことができないものである。

人見知りという言葉は、本来子どもに使われる

「人見知り」を辞書で調べると、次のように書かれている。

『人見知りとは、本来は幼い子供が知らない人を見て、嫌ったり、恥ずかしがったりすることである。』

そう。人見知りという言葉は本来、大人に使われる言葉ではなく、子供に対して使われていた表現だ。お母さんの後ろに隠れ、もじもじしている子どもの様子などイメージしやすいだろう。

しかし昨今、少子化による核家族化や、都市化における隣人や近隣住民との関係性の希薄さや、ひきこもりの増大などから、私たちの”他人”への警戒心は徐々に強くなってしまった。その結果、意識的にも、無意識にも、見ず知らずの他人と接点を持ったときにコミュニケーション方法がわからず、ついぎこちなくなってしまう。

そのような若者や、大人の様子が”幼児化”として捉えられ、大人に対しても、人見知りという言葉が使われるようになってきた。大人の場合は「内気」「照れ屋」「はにかみ屋」「恥ずかしがり屋」の言葉をあてるのが標準的であるが、現在は「コミュニケーション、人付き合いが苦手なこと」「知り合いや顔見知りの前で自由な感情を表現できない事」を表す用語としても使われる。

つまり、人見知りという言葉が子どもに使われていたということは、人見知りはいつから始まったのか?を考えるヒントになる。「大人」な私たちが自覚している人見知りの始まりは、私たちの幼少期であった可能性が非常に高く、今の人見知りはその延長だということだ。

人見知りは皆、『体は大人。頭脳は人見知り。』

どこかの江戸川の名探偵が好んで使うキャッチコピーに比べると、何とも微妙である。

実際、心理学においては、現時点の問題の原因は幼少期にある、と考える理論が少なくない。

「子育てハッピーアドバイス」の著者であり、心療内科医師・子育てカウンセラーの明橋大二氏は「子どもの成長の土台である自己肯定感は、0~3歳に抱っこなどを通じて、自分が生まれて良かった、大切なんだという気持ちが育まれます」と述べており

アメリカの心理学者であり、交流分析という心理療法の祖エリック・バーンは「人は、7歳までに無意識に自分のこれからの生き方の筋書きを作り、人生を決めている」と述べている。

従って、人見知りはいつから始まったのか?と考える方向性としては自分の幼少期に目を向けることが効果的であるということがわかる。

あなたの幼少期は、どうだっただろうか。高校、中学、小学校と遡り、幼稚園、そしてそれ以前…遡れば遡るほど、人見知りがいつから始まったのか、その答えが自分の過去に隠されていることに気づかされる。

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人見知りな私という、大いなる勘違い

自分の人見知りが、いったいいつから始まったのか。その記憶の断片に触れることができた人もいるかもしれない。そもそもの人見知りの原因については別記事で触れるが、ここで、私たちが陥りやすい1つの、大きくかつ致命的な勘違いが発生していることを記す。

それは、「人見知り=自分の性格」だと思い込んでいるという事実だ。これこそが、私たちが早めに気づき、訂正すべき勘違いなのだ。

人見知りはいつからはじまったのか、そのルーツは私たちの幼少期に遡ると述べた。しかし、それすら曖昧な人は、いったいいつから自分が人見知りだったのかも思いつかない。それ以前に、なぜ、いつから、自分は人見知りなのか?ということについてを考えることもしていないかもしれない。

『The 5 Monkeys Experiment(5匹の猿の実験)』という、話をご存知だろうか。これは、人がいかに、慣習による思い込みで動いてしまっているのかということを説明する興味深い内容の実験である。その実験内容は、次の通りである。

①まず始めに、部屋に5匹の猿を入れます。部屋の中央にははしごが設置されており、登るとはしごの上のバナナを手に入れることが出来ます。しかし、猿がはしごを登ると、登らなかった残りの猿に氷水が降り注ぐようになっています。この状況で実験を開始しました。

②しばらくすると、猿達は氷水をかけられたくないので、はしごを登る猿を攻撃するようになります。すると、どの猿たちも段々とはしごを登ろうとしなくなりました。

③そこで、元々いた5匹のうち1匹を新しい猿に置き換えます。新しく来た猿は、はしごとバナナを発見します。なぜ他の猿達がバナナを取りにいかないのか、と不思議に思いつつも、新参者の猿ははしごを登ろうとします。すると、他の猿達はその新入りの猿を攻撃します。新参者の猿はなんでボコボコにされたのか理解できませんが、攻撃されたくないので、早々にはしごを登ることを諦めます。

④また同様に、もう1匹を新しい猿に置き換えます。新参者の猿ははしごを登ろうとしてボコボコにされます。以前ボコボコにされた新参者だった猿も、他の皆がやっているため、今回の猿をボコボコにする行為に加担します。しかし、なんではしごに登ろうとする猿を攻撃しなくてはならないのか、全く理解していません。

⑤このように、5匹の猿を1匹ずつ置き換えていき、5回目には元々いた猿は全員部屋からいなくなっています。今、部屋に居る猿は氷水を浴びせられたことがありませんが、はしごに登ろうとする猿もいません。全ての猿は、何故こんなことをしているか分からないまま、はしごに登ろうとする猿が現われるとボコボコにするのです。

そして、社会の規則もこのようにして決まっているのです。

いかがだろうか。個人的には、とてもリアルで恐ろしい内容なので「夜中トイレにいけません」などというクレームが殺到したら、お詫びとして私は何人に付き添わないといけないのだろうと心配になってしまう。

この実験のように、明確な根拠が無いのに、1つのことを頑に思い込み続けてしまうという人間心理がある。それが、私たちが自覚する「人見知り」にも同じことが言える。

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今回の、人見知りを終わらせるヒント

『人見知りは性格ではない』

人見知りは”状態”なのだ。

この言葉は、重要なので覚えておいていただきたいと思う。

性格は本質なので、変えることは難しいかもしれないが、「状態」であれば話は別だ。自分の意志により、状態は変えることができる。

そのために、自分自身に、次のように問いかけることが大切だ。

『私はもしかしたら、人見知りな性格ではないのかもしれない。いったい、いつ、何がきっかけて、私は人見知りだと思ってしまったのだろう』

そのように考え始めた瞬間から、「人見知りの終わり」へのカウントダウンが始まるのだ。
    
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誇り高き人生を。

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人見知り心理カウンセラー

「人見知りは、世界を変える」

人見知り改善カウンセラー
さいとうよしゆき

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